町工場の現状としては、1980年代に9800前後あった工場の数は現在では3000ほどに落ち込んでいます。また5年以内に 500以内の工場が廃業するのではないかといわれています。つまり製造業を担う町工場は、最盛期の4分の1ほどの数になってしまったということになります。
製造業を担う町工場がこれほどまでに減少してしまった背景には事業継承が挙げられます。多くの町工場は、従業員が3人以下という小規模なものです。これは父と母、そして息子や職人などからなりたっています。
日本はかなり昔から産業の空洞化に向かっていて、その流れが加速しています。家電の多くは海外の工場で生産され、近年では日本の有名自動車工場でも外国の工場で作られています。これにより国内の町工場の仕事は、海外に持っていかれることになります。
本来であれば跡取りが踏ん張って技術の空洞化を防がなくてはなりません。しかし肝心の跡取りも、大企業が外国に工場を持つのであれば、町工場はやっていけないと考えたり、大学にさえ入りすればほかの仕事で食べていけるという考えがあります。このような考えがあると跡を継ぐ気にはなれなくなってしまいます。
アメリカでは日本よりもかなり早い段階で製造業は空洞化してしまい、町工場の多くが消滅してしまいました。しかしアメリカでもまだ町工場は存在しています。
生き残るとすれば、名人のような技術を持ったところです。簡単なものしか作れない所であれば、生き残ることは難しいでしょう。
簡単にできるものであれば、日本どころかアジアのあちこちでつくることができます。同じ依頼が外国で安くできるのであれば、企業はそちらに頼ることになるでしょう。国内の製造業などの利益効率が低くなれば国内産業が軽視されて、輸入が重視されるようになります。こうなると工場も海外に移転してしまうことになります。他にできない技術があれば、依頼が減ることは絶対にないのです。
この記事は"町工場 生き残りの模索"というタイトルで職人ネットワークが外部に依頼したものです。
投稿日時:2017年8月22日17:52